日本各地に今も残る懐かしい婚礼
江戸の鳶木遣(東京・神田)
人口もその賑わいも世界一とうたわれた江戸の町。 神社で祭りがあるといえば、神輿行列の出立のときに、 どこかで新築の家が建ち始めたら、上棟式の日に、江戸の空に響き渡ったのが、 いなせな半纏(はんてん)姿の鳶(とび)職の木遣(きやり)歌。 町内の世話を一手に引き受けていた鳶の人たちは、平成の今も健在だ。 朗々と響くその木遣の声は、新郎新婦の初めの一歩を先導する。
「いよぉ〜 お〜ぉん やりょぉ〜(おーい、はじめるぞー)」
「え〜ぇえ〜 よぉ〜」
抜けるように青い空が広がる神田明神の境内に、腹の底から突き抜ける声が響き渡る。「五番」の文字と白い四本線を染め抜いた半纏姿の鳶職人。高らかに木遣をうたいながら、拝殿までの新郎新婦の参進行列を先導する。
「火事とケンカは江戸の花」といわれたが、江戸庶民文化を語るうえで欠かせないのが鳶職の人たちだ。徳川家が江戸に幕府を開いた江戸時代、全国からたくさんの人たちがこの新しい都市に集まってきた。そこで必要となるのが家屋などの土木作業。それを一手に引き受けたのが鳶職人だ。鳶職は次第に火消しも兼ねるようになり、江戸の花形の職業となっていった。
鳶職人は組に分かれ、それぞれの組が江戸を地区割して管轄する。その町内のさまざまな世話をするのも役割になっていった。現在でも、地域の氏神神社のお祭りのさまざまな世話をするのは、鳶職人たちの仕事のひとつだ。
鳶職人たちが力を合わせて土木作業をする際に、息を合わせるためにうたわれたのが「木遣歌」だ。戦後、機械が導入されるようになり、労働歌としての木遣をうたう機会はなくなったが、その伝統技芸は「江戸の鳶木遣」として東京都の無形文化財に指定された。
「江戸総鎮守」とされた神田明神では、神前結婚式の際、新郎新婦が境内を拝殿に向かう参進で、鳶職人により木遣がうたわれる。「結婚式では木遣の前に、うちの頭(かしら)が新郎新婦のために作った祝詞(のっと)をやるんですよ」そう語るのは、「江戸消防記念会」第四區五番組の渡辺晋作さん。
「千代田の杜の神田明神
社の御前に奉り
盃交わす(新郎新婦の名前)
日本一の晴れ姿
おめでたーやー」
揺るぎない声であげられる祝詞に続いて、甲高い木遣の第一声が響き渡る。神田明神で結婚式を挙げた横本昌之さんは、江戸文化に興味を持っていたことから、参進での木遣を希望した。当時を振り返って、横本さんはこう語る。
「第一声で、境内の空気が一転するんです。とても清々しい緊張感。一瞬で僕たちの気持ちがひとつになった。まさにその瞬間が大事な一日の始まりとなり、なにひとつ悔いのない結婚式の日を過ごすことができました」
参考知識/東京の鳶職人と木遣について
現在ではご祝儀や祭礼でうたわれる鳶の木遣。昭和 31 年に無形文化財にもなったこの技芸を担うのは、東京23 区 内の鳶職の人たちが所属する 「江戸消防記念会」だ。渡辺さんによると、木遣の稽古が 行われるのは月に3 回。出初め式、消防殉職者慰霊祭といった、大勢で行う鳶の木遣の 前は 1 週間の通し稽古が行われる。こうして代々、鳶職 の人たちは木遣を受け継いできた。
毎年5 月に行われる神田祭では、神田明神から神輿行列が出発する際に、迫力ある鳶の木遣を聴くことができる。
初出:日本の結婚式No.21
取材・文:平井かおる
取材協力:神田明神、江戸消防記念会・第四區五番組