にほんのことば<第一部>
数千年の時を超えた
先祖からの贈り物
神前結婚式や祈願など、神社で神主さんが唱えるものに「祝詞」がある。日常の暮らしでは使わない、耳慣れない不思議なことば。それは古代、私たちの先祖が使っていた「やまとことば」なのだ。やまとことばを始めとする、古くから使われる「にほんのことば」は今も私たちの日常生活にいくつも簡単に見つけることができる。「おめでとう」「ありがとう」「いのち」「はる・なつ・あき・ふゆ」知っているようで、知らない、そうしたことばのホントの意味。神前結婚式を機に「ことばの音」に耳を傾ければ、人生の節目に大きな贈り物を受けとることができるかもしれない。
ありがとう
めったに有りえないものがそこに存在し、めったに起こらないうれしいことが起こる。だから、「ああ、有り難い!!」
これを漢字にすると「有り難う」。当たり前と思っている「生きていること」「食べる作物が育つこと」「人と縁が結ばれること」、すべてがよくよく考えれば、「有る」ことが「難しい」ことなのだ。そんな奇跡のような計らいを行っているのが「神様」、古代の人はそう考えた。昔はそうした神様の存在、その計らいに感謝することばだったという説もある。現在では誰にでも使う「ありがとう」。惜しまずに使えば、そのことばにきっ
と神様も宿るはず。
いえ
建物ではなく、家族が集い、ともに笑って明日への気力・活力を養う場。「ハウス」じゃなくて「ホーム」こそ「いえ」。
国語辞典で「いえ【家】」を引いてみると、最初に「人が住む建物。家屋」と出てくる。しかし、もともとの意味はちょっとニュアンスが異なる。「いえ」の古語は[いへ]。「い」というにほんのことばは、「神聖なもの」という意味をもつ。「へ」は「辺り」の意味。建造物というより、人々が集う神聖な、つまり命の力を復活させる場所なのだ。それでは建物のほうはなんといったかというと、「や(屋)」「やど(宿)」。こちらは物理的に雨露をしのぎ、体を休ませるところの意味。
いのち
力強い息吹を示す「い」と、神秘なる力の霊を示す「ち」。人も動物も植物も持っている「『い』の『ち』」にはものすご?い底力があるのだ。
「いのち」はどこにある? 心臓ともちょっと違う?? そう、いのちの本質は目には見えない。それでも、そのことばが本質を示している。「い」は「息」の「い」、「ち」は霊力・不思議な力あるものを示す。つまり「いのち」=「息の霊力」。日ごろ呼吸を意識することは少ないが、そこに宿るのは力強い息吹なのだ。おもしろいことに、英語のbreathは息だけでなく「魂・生命力の象徴」の意味をもつ。古代ギリシャ語やヘブライ語でも息を表す単語には「風・命・心」の意味があるのだそうだ。
おや
父や母だけが「おや」かと思いきや、祖父母も曾祖父母も室町時代や平安時代、古代に生きた先祖もみ?んな「おや」。
古語辞典で「おや」を引くと、【親・祖】の漢字が記されている。「祖」はいわずと知れた「先祖」の「祖」。古来「おや」ということばが示したのは、自分や連れ合いの父母だけではなかったのだ。「トオツオヤ」ということばもある。これは遠い遠い先祖のこと。これもまた「おや」。ちなみに、あらためて古語辞典で「おや」を引くと、その意味のいちばんに挙げられているのは「母親」のみ。「おや」は、広くは自分に繋がるすべての命を示すが、狭くは父も含まず、命を「産む・育てる」母のみ! 女性の役割は大きいのだ。
おめでとう
長い冬も終わり、残った雪の間から小さな芽が顔をのぞかせる。さぁ、命を咲かせる時がきた!「めでたい、めでたい、おめでとう!」
これは漢字を含めて表すと「お目出度う」。「め」が「でた」、つまり「芽が出た」状態を表すことばだという説がある。芽が出るということは、「成長した」という意味。人生のひとつのステップをのぼった、新年を迎えてひとつ年を重ねた。そういう状態を示すことばが転じてお祝いのことばとなったわけだ。結婚も人生の節目。「おめでとう」と祝われたら、「新しい家族という芽が出ましたね」だけで終わらず、「それを育ててく
ださいね」という願いも込められている。
かけまくもかしこき
話題を切り出す前にひと声かける日本の「はばかり」の心。ましてや、恐れ多く尊い神様に申し上げる前にはこのひと言。
「お忙しいところを失礼いたします」のように、日本人はいきなり用件を切り出したりせず、相手やその場の状況に配慮してひと声かけるのを礼儀とする。「掛けまくも畏(かしこ)き」は神様に奏上する祝詞の多くで使われるはじめのことば。「掛け」はことばにすること。「言葉に出して申し上げることも恐れ多い◎◎大神(お祭りしている神様の名前)?」と続く。古代の人は現代人よりもずっと神様を畏(おそ)れ敬う気持ちが強かった。神様について語るのはもちろん、心に思うのも恐れ多いことだったのだ。祝詞はその神様にお伝えするのだから、たいへんはばかられることとして、まず冒頭でこのことばをかける。
かみ
目には見えない神様。でも、神様からは全部丸見え! だから神様は恐れ多く、畏れ慎むべき方なのだ。
「かみ」の語源は諸説ある。つまり、定説はまだない。多く支持されている語源は「隠れ身」だ。目には見えないけれど、人には到底知ることができない力をもつ、それが神様なのだ。見えないものほど恐ろしいものはないともいえる。例えば暗い部屋の中に人がいても、外の明るいところから
はその存在はわからない。だが、暗い部屋の中からは、外の人がなにをしているのか丸見え。これと同じで、目に見えない神様からは人の行いだけでなく、心の中まですべて見えてしまうのだ。