日本各地に今も残る懐かしい婚礼
ようめんじょうろ(三重・答志島)
ようめんじょうろ
「ようめんじょうろ、祝いましょう」
人口608人たらずの集落で、およそ20年ぶりに伝統のかけ声が響いた。提灯を握りしめた男性ふたりに先導されながら、高台に鎮座する八幡神社へと一歩一歩進む新郎新婦。「おめでとう」「お幸せにね」、道中のいたるところから、お祝いの声がかかる。その道は、今は亡き父の実家へ嫁ぐ日に、打掛姿の新婦母が歩いた道でもあった。
日本各地に今も残る懐かしい婚礼
ようめんじょうろ(三重・答志島)
鳥羽港から北東約2・5キロの沖合いに浮かぶ伊勢湾最大の島・答志島。「ようめんじょうろ」は、島内の桃取集落で、古くから伝わる花嫁行列の際に提灯を持った男衆によって口にされる言葉だ。とはいえ、その意味をしっかりと記憶している島民はいない。
新婦は嫁ぐ日の朝、提灯を持った仲人の男性ふたりに導かれて、同じ桃取内の新郎実家へと歩みを進める。新郎の実家に到着すると、仏壇に手を合わせて先祖に結婚を報告。迎え入れる側の新郎家では、赤飯や鯛の活き造りをつまみに酒を飲み、祝宴を開きながら新婦の到着を待つのが習わしだった。ようめんじょうろは長男の結婚式の場合のみ、次男や三男のときには行われないのが普通だったという。この伝統行事も、近年は行われなくなっていた。
現在、桃取には2店の商店と1軒の旅館があるのみ。地元出身の若者が結婚する際には、船で海を渡り、鳥羽のホテルや式場で挙式することが多いという。
I・Uターンで島への移住を決めた徳本篤司さん・江里さん夫妻は、大々的な式を挙げるつもりは当初なかったという。しかし、近所の人たちに相談するうち「島で結婚式をするなら『ようめんじょうろ』やりぃや」と勧められ、せっかくだからと行うことに。
近くの八幡神社で神前式が挙げられるとお母さんから聞いたふたりは宮司さんに相談。提灯は、桐箱に大切に保管していたものを近所の人が快く貸してくれることになった。
そして迎えた、挙式当日。江里さんのお母さんの結婚式の頃のような仲人も、大酒飲みの男衆もいない。歩く道は神前式を行う八幡神社までのごく短距離で、新婦の髪型は角隠しではなく今風の洋髪。昔と比べると簡素化されたところは多々ある。それでも、20年ぶりのようめんじょうろの復活に桃取の人々は沸いた。沿道から、家の中から、園児が、老人が、至るところから拍手と声援でふたりを祝福。
見たことのない慣習にチャレンジする若者を見ながら、「もっと、ゆっくり歩かにゃ!」と、遠い記憶を辿りながら指導する近所のおばあちゃん。通常なら5分でたどり着く道のりが、この日は15分かかった。到着した八幡神社では、宮司さんによる神楽舞の奉納も行われた。
「娘が夫婦で戻ってきてくれて、私と同じように結婚式は『ようめんじょうろ』をやってくれて幸せです」と語る、江里さんのお母さん。
その数か月後、桃取に再びようめんじょうろの声が響いた。ふたりと仲のよい旅館の息子夫妻が、後に続いたのだ。その日もまた、桃取には気持ちのいい風が吹いていたに違いない。
島内初の焼きたて「パン家」さん
伊勢湾最大の島、答志島には3つの集落があり、北西側にあるのが桃取。新鮮で豊富な海の幸が採れる漁師町に、ふたりがベーカリーカフェ「島のパン家〜 Hanare 〜」をオープンさせたのは2016年夏。鳥羽市で始まったばかりの定住応援事業奨励金制度を利用した。
漁師の朝は早く、船内で片手で食べられるパンが重宝されると聞いたのがきっかけ。それまで焼きたてパンを提供する店もカフェもなかったため、すぐに老若男女がこぞって集う人気店に。三重県産小麦粉ニシノカオリを主体に焼き上げられるパンの中にはアオサやカキなど地元食材を使ったものも。「焼きたてのパンを食べたら、ほかのが食べられなくなった」といったうれしい声も届いている。